ひとりじゃなんにもできないぼくら。
今、仲間は渦巻く嵐になる。
ストーブをつけるとき、ためらう
僕の部屋にある灯油と電気で動くストーブ。 数年前に購入したものだ。 僕の家は昔ながらの日本家屋で、風呂は未だに五右衛門風呂だ。これがいい。 学校から帰ってくると母が料理を作っていてくれて、祖母か祖父が薪をたいてくれている。 風呂の隣の部屋、薪をたく部屋は昭和時代の香りがする。 風呂の木窓を開けるとその部屋が一望できて下を覗き込めば自分の入っている風呂を沸騰させるくらい赤い赤い火の粉が見える。 どういうことか、五右衛門風呂の家の人ならすぐに映像が浮んでくるだろう。 五右衛門風呂は電気で沸かす風呂のようにすぐに冷めない。 薪をたいている炎の中にアルミホイルで包んだサツマイモを入れておけば焼き芋、焼餅などが作れるのもいいよね。 最近、五右衛門風呂っていいなって思った。 それまでは、大嫌いだった。 小学校からみんなの家は電気で沸かしていると聞いていた。 物心付いたときから五右衛門風呂のぼくは電気で沸かす風呂がどんなものなのか全然分からなかった。 なにか手違いがあれば、10まんぼるとがお風呂に流れて死んでしまうのではと思ったほどだ。 そう思った翌朝のクラスの人数はその日も、卒業までも一人も減っていなかったから、電気で沸かす風呂は危ない奴じゃないってことは容易に分かったけれど、毎日電気風呂に入っている「み・ん・な」と「じ・ぶ・ん」との間にどんどん溝が開いていっているような気がして、仕方が無かった。 それは風呂だけに限らない 僕の中のあらゆる何に対しても抱く思考だ これは羨望という言葉が適当だと思う。 今も僕の世界はこいつに踊らされ続けている。 それでイイこともあるしワルイこともあるって思わない? 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 旧式のストーブは、炎を消しても、しばらくは部屋のなかを暖かく包んでくれるし、やかんに水を入れて置いておけば、乾燥した部屋を潤すことができる。 電気ストーブはすぐにあたたまるし、安全装置などがついていて旧式ストーブには無いよさがある。 でも、僕は世界にどちらかのストーブしか残してはいけないのでどちらかを消してくださいと神様に頼まれたら迷いなく電気ストーブを消すだろう。 すぐさめる電気ストーブはいまの僕を含めた社会の人々の心に似ているから。 PR 2008/02/19(Tue) 00:11:50
この記事にコメントする
|